イスラエルには、「キブツ」という独自の社会主義共同体が存在します。ヘブライ語で「集団」を意味しますが、イスラエル建国運動において形成された独特の農村形態をいいます。
キブツニ―クと呼ばれるメンバーは私有財産をもちません。所有も生産も消費も、そして生活の一部も共同化されています。また、その運営は完全な平等、相互責任、自己労働の原則に基づいています。(男女平等という点では他に類をみないものではないでしょうか)
一般社会のように個人や家族が生活の単位ではなく、キブツメンバー全員が大家族として暮らしているのです。キブツには人口150人から2000人規模のものまであり、全国に270ほどあります。
どのキブツも果樹園、綿畑、小麦畑などの広大な農場に囲まれていて、その中の一角に生活区域があります。生活区域には、食堂を中心に郵便局、学校、子どもの家、図書室、売店、洗濯室、スポーツ施設、医療施設など日常生活に欠かせない施設と住宅が集まっています。キブツの人々は全員、そこに住み、そこで労働し、そこの施設を利用して暮らしています。
キブツでは土地、建物、生産手段はすべて共有です。私有財産は衣服や家具など個人所有物を除いて認められません。メンバーは働いて得た収入のすべてをキブツに納めます。キブツメンバーは主に農作業や灌漑事業に従事していますが、人口の3%を占めるに過ぎないキブツが、イスラエルの農産物の実に40%を生み出しています。
さらに、キブツメンバーが国づくりと国家建設に多大な貢献をしたことも有名です。キブツは、初代首相のベングリオンや、ゴルダ・メイア、モシェ・ダヤンなど、多くの軍指導者や政治家、知識人を輩出しているのです。
キブツの創設者たちは、19世紀から20世紀初期に主にロシアから移民してきたユダヤ人らで、社会主義と、ロシア革命に至る当時の社会風潮に影響されていました。またシオニズムも信仰していました。
1909年にガリラヤ湖畔に建設されたのが最初で、初期には自分たちをひとつの大きな家族とみなし、メンバーの数は大きくならないよう努めました。生活の中心は食堂で、翌日の労働、見張り役、台所仕事の配分など、すべての決定は直接民主制で行われました。当初は農業を主体としていましたが、やがて工業やサービス業を取り入れ、長年にわたって経済的繁栄を築き上げてきたのです。
しかし1980年代、3桁のインフレと高金利のため、イスラエルの企業は大打撃を受け、多くのキブツ工場も破産状態に陥ったことがあります。現在では、なんとか困難を克服し活動は維持されていますが、メンバーの15%しか農業に従事しておらず、工業の貢献度の方が高くなっています。しかしキブツの人口は、この工業化に見合う十分な労働力を供給できなくなっており、外部からの雇用労働者を受け入れざるを得なくなっています。
そこで救い船となっているのが、毎年海外からボランティアとしてキブツに働きにやってくる、何千もの若者たちです。彼らは労働力を提供する一方、小額のポケットマネーと三度の食事、そして住む場所をキブツから与えられ、プールやディスコなどの施設を自由に使用させてもらえます。
これには双方のメリットがあり、キブツにとってはボランティアゆえに、あらゆる予算の節約になっています。一方、ボランティアの若者たちにとっては、特異な生活を体験しながら安全にイスラエルを旅行できる良いチャンスに恵まれます。
イスラエル観光を底流として支えられているという意味では、キブツはまさにイスラエルの経済と文化双方の象徴であるといってもいいのではないでしょうか。
関連リンク
・キブツプログラムセンター
http://www.kibbutz.org.il/volunteers/
・テマサトラベル(イスラエル大使館公認・手続き代行会社)
http://www.temasa.co.jp/html/user_data/kibbutz.php
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