シオニズムの始まり

以前勉強会にて、「そもそもシオニズムの始まりって何なの?」という疑問が出たため、今回はそれについて書こうと思います。

 

 シオニズムの語源はシオンから来ています。シオンとは、エルサレムの東南部の丘の名前で、これが後に神殿やエルサレム全体を意味するようになりました。シオニズムとは簡単にいえば、そのシオンの丘に帰ろうということです。「世界各地に散ったユダヤ人をパレスチナに復帰させようとする運動」にもつながるかと思います。

シオニズム運動は、ユダヤ人思想家ナタン・ビルンバウム(1864~1937)が組織化し、ハンガリーのブダペスト出身のユダヤ人テオドル・ヘルツル(1860~1904)が実質的指導者となりました。

彼は、ウィーン大学で法律を学び、ノイエ・フライエ・プレッセ紙の特派員としてパリに赴任しました。そこでドレフュス事件(*)に遭遇します。そこで受けた衝撃やユダヤ人の理想を、彼は自身の著書『ユダヤ人国家』でまとめています。この本の出版が契機となり、1897年8月にスイスのバーゼルで第一回シオニスト会議が開催されました。

そこで採択された運動方針は、開催地名をとって「バーゼル綱領」と呼ばれていて、次のような4項目で成立しています。

(1)ユダヤ人農夫、職人および生産者のパレスチナ入植の促進

(2)ユダヤ人社会の団結、組織化

(3)民族感情と民族意識の覚醒と涵養

(4)関係諸政府の理解を得るための働きかけ

これはつまり、ユダヤ人の故国をパレスチナに建国するというもので、このとき、それを推進するために「世界シオニスト機構」が設置されました。これが現実的なシオニズムの始まりとされています。

 

・補足

ドレフュス事件…1894年、フランス軍のユダヤ人砲兵大尉アルフレッド・ドレフュス(1859~1935)がスパイのえん罪で終身刑の判決を受け、それがきっかけでフランス全土に反ユダヤの嵐が吹き荒れた事件。ヘルツルはそこで、万民平等を謳っているはずの先進国フランスでも、激しい反ユダヤ感情が爆発することに衝撃を受ける。

 

・参考

http://www.harvesttime.tv/assets/PDF/IsraelHistory/IsraelHistory09.pdf#search=’バーゼル綱領’

 

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